有頂天ゲーマー スーパーオデッセイのおもろい一日

京都のゲームサークル、SOLGERのメンバー、 スーパーオデッセイの、ケーム・ギャンブル・ 呑み等、おもろい(おもしろい)一日の日記です。

8月17日 鎮西軍記リーグ 2戦目

前日22時には寝た。歯の痛みも無く5時までぐっすり寝れた。

前日夜勤明けのくろだ氏はまだ寝ている。私はサカつくを始める。
6時半頃くろだ氏が起き始め朝食を作り始めた。
サラダ・目玉焼き・サーモン・とうがらし・味噌汁と朝から豪華だ。
味噌汁は私に合わせて薄めで作ったと言われたが私には少し濃い目だ。
豪華な朝食が終わり布団を片付けテーブルを配置する。
まずはドラフト。私が豊臣に9点・くろだ氏が島津に4点を入れ
陣営が決定する。豊臣側勝利ラインが30点に繰り上げられる。
セットアップが終わり9時からゲームスタート。
2月第3週は、島津側の防御が完璧に近く、古処山城に近づくも戦果は無し。
島津軍は義弘・歳久・家久を肥後に向けて転進させてきた。
古処山城の維持に全力を注ぐようだ。そのせいか豊前・豊後の島津軍は少なく
毛利輝元が一ツ戸城に到着。2月第4週は、宇喜多勢が増援に出てくる。
豊後木付城が落城寸前のため、小早川隆景を竜王城付近に向けると
島津軍は木付城の包囲を解きくびれの平地に戦線を張っている。
宇喜多秀家と黒田考高がスタックし再編成。黒田考高を14戦力にアップする。
筑前で戦線を構築していた毛利軍を全て豊前に転進させる。
そのため筑前の兵力が不足し、古処山城北東山地付近で宇喜多勢と黒田で
戦線を張る。3月第1週は、蜂須賀・宮部・高山と有力武将が増援に出てくる。
一ツ戸城を落とした毛利軍は豊後に侵入。隅城を経由しさらに南下。
この好機に、蜂須賀・宮部勢を竜王城に、高山勢・福島正則を隅城に送り
前野・中川勢は長船勢と合流し、立花山付近に戦線を張る。
島津軍は、義久・家久で古処山城を守り、義弘・歳久を筑後・肥後に転進。
さらに、新納と隅部も隅城付近で遅滞戦術を繰り返し始めた。
このため古処山城前面の島津側兵力が半減。宇喜多勢を前面に黒田勢と前進。
古処山城に家久、隣の山地に義久が守備していたが、義久が守備する隣の山地に進出。
さらに宇喜多勢を平地に前進させる。義久から攻撃され3発のダメージを受けたが
島津側の防御面積を増やすことに成功した。ここで和伊氏がプレイを見に来た。
3月第2週は豊臣秀長が増援に出てくる。
筑前・筑後・肥後方面の島津軍は、最南の隅府城から古処山城までと戦線が広がり
秋月氏・筑後衆は1ユニットごとに戦線を支え
戦線として機能しているように見えるが、よく見ると弱い部分もある。
宇喜多・黒田が南下し、筑前から筑後に侵入する構えを見せた。
第3ステージの島津はかなり時間を費やし考えたが
古処山城の守りと、豊臣軍筑後進入の両方に対応してきた。
古処山城に義久が陣を張り、家久と筑後衆が筑後川沿いに戦線を2線で張り
南下対策は完璧であった。ただし豊臣側が南下前提の防御のため
第3ステージの島津側がプレイを終了し対局時計を押した段階で私は勝利を確信。
ここでトイレに行き、自分の時間を消費しつつ数分考えをまとめ戻る。
まず古処山城南の平地を守っていた秋月ユニットを黒田が
古処山城南の荒地を守っていた秋月ユニットを毛利輝元が
古処山城西山地を守っていた筑後衆ユニットを豊臣秀長が攻撃し占拠。
古処山城外に島津義久を完全包囲する形になった。
ここでくろだ氏に投了を進めたが、くろだ氏はもちろん外野の和伊氏も
抜け出せる策がありといった感じであった。
驚いたことに第4ステージで島津義久は古処山城に籠城した。
くろだ氏と和伊氏はこの難を逃れたと目で会話をしている。
第4ステージの豊臣側は古処山城外に居座っていたユニットを隣接部隊で攻撃。
ここでくろだ氏は城外ユニットを城内に後退させた。
この時点で古処山城に籠城中のユニットは
士気-4の筑後衆1ユニット。士気-4の秋月氏1ユニット。
士気-3の秋月氏1ユニット。士気-1の秋月氏1ユニット。
島津義久28戦力10ユニット。合計35戦力。
攻撃部隊は戦闘後前進をせず古処山城隣接地を固めたまま終わった。
ここで和伊氏は帰った。3月第3週は、堀・蒲生が増援で出てくる。
長船勢が高祖山城を包囲していたため、義弘軍に編成されていた
原田氏が豊臣側に寝返った。義久が籠城し本城から連絡線を設定出来ないので
島津軍は士気が1つ低下する。第1ステージの島津側は士気の回復で終了。
古処山城に籠城中の士気-4の筑後衆1ユニットは士気回復に失敗する。
豊臣側は、豊臣秀長・筒井定次・黒田考高・宇喜多秀家・毛利輝元・吉川元長で
古処山城外に進み、古処山城隣接地に島津軍が来ないように他の軍で戦線を張った。
島津側第2ステージは、古処山城に籠城中の士気-4の筑後衆1ユニットを
島津義久で編成。島津義久が士気-4になる。
その他の島津軍は肥後を南下しながら戦線を張っている。
豊臣側第2ステージは、黒田考高で古処山城を包囲。
豊臣秀長で古処山城を強襲。4発くらうが6を出し、城の耐久力を7下げた。
ここでくろだ氏が慌てた。どうやら想定外であったようだ。
通常、大軍が籠城していれば強襲しないのがセオリーだが
士気が下がっている部隊がいて、城のレベルが低ければ
(古処山城はレベル0で荒地の1修正のみ)話は変わる。
次に毛利輝元で強襲。4発くらうが3を出し、城を落城させた。
これにより島津義久を除去してゲームに勝利した。
途中の展開では島津側は上手に守っていたが欲を出しすぎたのが敗因であろう。
くろだ氏も勝てる見込みがあっただけに落胆ぶりは酷かった。
終了時の持ち時間は、豊臣側4時間・島津側2時間44分であった。
私は時間配分も考えていた。最初の4イニングで1時間。
真ん中の4イニングで1時間半。後半の4イニングで2時間。予備30分である。
予定通りのペースであった。感想戦に入ってもくろだ氏は落胆したままであった。
悔しさが人を強くする。再戦を希望するくろだ氏。次はもっと強くなっているだろう。
ゲームが予定より早く終ったので、昼食を近所のとんかつ屋でゆっくり食べた。
ここも美味しくまた来たいお店になった。帰って今日の小さいミスを見直し
次戦に備えよう。最終戦の和伊氏に勝って、全勝で優勝したい。
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コメント

2勝目おめでとうございます。
最初の方を読んでいて豊後方面からの突破が見られるのかなと思ったのですが、予想外の結末でした。
2013-08-21 Wed 00:32 | URL | AMI [ 編集 ]
コメントありがとうございます。
義久を包囲するまでは
互角の戦いでした。
くろだ氏が古処山城の維持に
固執しすぎなければ
最後までもつれていたと思います。
2013-08-21 Wed 07:27 | URL | オデッセイ [ 編集 ]

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